1995年 タンザニア採集記

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著 イアン・セイントハウス

翻訳 酒井道郎

パート1

ミクミ経由アルーシャからダール・エル・サラームへ

 1995年6月14日の日曜日に,これから二週間続く予定であるメダカ採集旅行の出発点,アルーシャの町の東側に有るホテルを出発。今回の旅行では第一級の舗装道路から表現できない程ひどい埃道迄含め約4,500キロを踏破する事になった。時計の反対廻りで,アルーシャからドドマ,セロウス動物保護区,ダール・エス・サラーム,タンガを通り,アルーシャに戻る事とした。

旅行仲間はカナダからのBraian Watters と オランダのRuud Wildekamp であった。タンザニア北部のアルーシャの東,車で約45分の所に在る,キリマンジャロ空港行きのKLMノン・ストップ飛行機に乗る為,我々は土曜日の朝アムステルダムのスキポール空港で落ち合った。
 日曜日に最初に止まった所は,ランドローバーを貸与してくれる会社の事務所で,そこで最終的に種々の手配を行った。


N.neumanniマニャーラの生息地(1993)

当初,ここで時間を食い正午前には出発出来ないと思い,最初の夜をタランギレ自然公園で過ごす計画であった。しかし,実際に予定より早く切り上げる事が出来たので,タランギレは通過し,コンドアの町に行く事にした。タランギレ自然公園と主幹道路が交差するポイントの南6キロ程の所に,採集者が一番頻繁に行くノソブランキウスの生息地が有る。

ここにはメダカの居る水たまりが有り,この魚は過去長い間N.sp.Manayaraとして知られ,近年はもっと正確にN.neumanniと呼ばれているノソである。この生息地は1993年の採集旅行の終わりに訪問した事があるが,その時は全く乾燥していた。今回は,その時より一週間遅いだけで有ったが,水が一杯有り魚を見つけるのが困難な程で有った。最終的には,ある程度魚を採集し,旅を続けた。

我々の旅行より三ヶ月ほど前に, John Rosenstock (ローゼンストック・デンマーク)が同じ道を通過し,彼がデンマークに帰り,よく知られた場所より三キロ離れた所でN.neumanniの新しい生息地を見つけたと教えてくれた。我々はその場所を探したが見つからなかった。水と道路の間にアカシアの茂みが有り潅木で視野さえぎられた所に有る水を発見したのは,ノソのマニャーラが生息する場所より丁度四キロ離れた所であった。このプールではマニャーラに見かけが似たN.neumanniが居た。此処では魚を採集しなかった。帰国する迄判らなかった事は,ローゼンストックが見つけた生息地と同じ場所で有るかどうかであった。帰国後彼の記録と比較したところ,別の場所である事が判明した。


N.nemanni Manyaraの生息地(1995)

コンドア迄の道のりは何事も無く過ぎた。一般的にこの地域は非常に乾燥していた。数箇所で水溜りを見つけたが,何も居なかった。この夜,ホテルでビールを数杯のみ,予定のドドマへ向けての真南には進まず,数マイル横道にそれ,ブブ川に行く事に決定。此処は以前N.taeniopygusが採集された所である(個体群 KTZ 85/5)。

しかしながら,我々は何の成果も無く手ぶらであった!一時間余も掛けて探したが一種類の魚も見つからなかった。コンドアからドドマ迄の道は,ほとんど起伏が激しいか,乾燥しているか又はその両方で有った!

二つの町の丁度中間,ムブユニの町近くで,道の西側に明るい緑色の一帯を見つけた。これは明らかに水分が有る証拠である!近くへ行き調べたら,道から100メートルぐらいの所に水が有り,そこでN.taeniopigusを見つけた。これらは非常に大きな種類で二週間も生き延びるのかと真剣に悩んだ。しかし彼らは生き延び,現在愛好家の間でN.taeniopygus Mbuyuni TAN95/2として供給されて居る。

ドドマのホテルに到着した時は,すでに夕暮れをとっぷり過ぎて居た。翌日モロゴロに向け東の方向に進むつもりで有ったが,町に到着する前に再び南に向けて走りキロサとミクミへの道を取り自然動物園の真中に有るサファリ・ロッジに向かった。ドドマからモロゴロへの曲がり角は道が内陸平野から海岸線に落ちるとすぐに有った。キデテの町近くで水溜りがありそこにはN. meranospilus が居た。これらは採集されN. melanospilus Kidete TAN95/3として出回っている。
次の週の間は例外なく,ノソが居そうな所で止まるといつもこの種類が我々の網の中に現れた。

ミクミへ行く道を遠回りしミクミ自然動物園の北側に有るムカタ平原に向かった。此処はN.steinforti が居るところで,この魚は趣味の世界では珍しい種類で,20年前に採集されているので,水槽の中で飼われて居るうちに色が変わってしまって居る。残念ながら全地域が乾燥しており,何も採集できなかった。その後,次の2日間の宿となっているミクミ・ワイルドライフ・ロッジに向かった。
次の日,イファカラの町と近くのカバシラ湿地帯への日帰り旅行を計画した。


N.lourensi Ikafara TAN95/4等の生息地

水曜日夜明け前にイカファラとカバシラ湿地へ行くべくホテルを出た。そこへ行くにはミクミ自然公園の東側境界の外にあるミクミの町へ行かざるを得ない。ミクミで南に向かった。数ヶ月前にジョン・ローゼンストックがこの道を走っているので,イファカに行くには3時間ほど掛かることを知っていた。

イファカとキロンべロ川の間で彼はノソを二種類採集している。一種類はN.melanospilusでもう一種は小さすぎて  色が出て居なかった。デンマークにN.lourensi Ikafara TAN95/4等の生息地 持ち帰り,この魚が成長したらN.Lourensi と判明。これはある種の驚きである。なぜなら今までこの種はクワラザとルブ川の間でしか居ない種とされており,イカファラからは150キロも離れている。

イカファラヘの道は起伏が激しくこのあたりは西に掛けて丘が多い。平坦地になったのはイファカラに着いてからであった。町から2キロの所で,最初の可能性が有るビオトープに出くわした。そこは緑草地帯で道の東側に面しており低い堤防があった。堤防の足元に水溜りがありトライしたが予想通り何も居なかった。我々の興味は緑草地帯に有り,そこは間違い無く水気があるはずである。地表に水が無ければもう過去数日前に強烈な日光に当たり草も枯れていたであろう。


N.lourensi Ikafara TAN95/4

N.sp.Ikafara TAN95/4

しかし原住 民の誰もその道を知らず,結局引き返しモロゴロとキサキ経由の公認のルートを取った。この道も,近くにあるウルグル山の影響を受けて,イファカラへのルートと同じく起伏が激しかった。キサキに着いてやっと道が平坦になった。

道の西側で木下に隠れた水たまりを見つけた。このプールでは今まで見たことも無いような大きなN. melnospilusを見付けた。更には全く別のノソも居た。最初網に入った時,N. rubripinnis かと思ったが,綺麗な水の入った袋に入れてみて全く異なる非常に綺麗なノソであることを確認。この新しい魚の特徴は腹鰭の 明るいオレンジ色の帯びと明るいピンクがかった
オレンジ色の下あごと喉の部分で有った。この魚は非常に多産系で当初N.sp. Kisaki TAN95/5として配布されたが今はN.flammicomanitis と呼ばれている。


N.flammicomantis Kisaki生息地

道を進んで行ったら,ついには狭くなり車が入らなくなった。また,我々のちょっと先に川が有り,それを渡らなければならないが,洪水で不可能と伝えられた。結局モロゴロに引き返すしか方法が無かった。

モロゴロで,ダール・エス・サラームに引き返し一泊し,翌日別ルートでセロウスに行く事にした。ダ−ル・エス・サラームのホテルに到着したのは,キサキの生息地で1時間止まった以外は15時間近くも車に乗り続けた後であった。


N.flammicomantis KisakiTAN95/5