1995年 タンザニア採集記

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イアン・セイントハウス

翻訳 酒井道郎

タンザニア 1995 パート3(最終回)

ダール・エス・サラームで二泊し,一日をダール・エス・サラームからバガモヨ,ムサタ,チャリンゼと一回りしてダールに帰る計画を立てた。バガモヨはダールの北75キロの海岸にある町で,前世紀の栄えた頃は,リビングストンやスタンレーのような探検家を含む,数多くのアフリカ大陸奥地への探検隊出発点であった。現在の中央ザンビアで死去したリビングストンの遺体は,二人の使用人によって一年掛かりでバガモヨに持ち込まれ,イギリスへ積み出された。バガモヨは奴隷貿易の中心地でも有ったし,短期間では有ったがドイツ領東アフリカの首都でもあった。現在でもドイツ時代の古い建物が町の中心に多数存在するが,維持・保存がなされてなく,急速に崩壊しつつある

バガモヨへの道は首都の郊外を通り海岸端のリゾート・ホテル群を通り抜け,ひなびた田舎に入る。途中止まったのは道の下を恒久的な水の流れが有るジンガのみであった。 西側には大きな椰子のプランテーションが有り,この川では卵目と同時にシークリッドやゴビーも採れた。明らかに恒久的水の有る所であったが,ここでもN. melanospilusが居たが、採集する気にならなかった。キリーフィシュでは同じ川にランプアイのAplocheilichthys maculatusが居た。


TAN 95/12の生息地

この群れの個体は非常に変化に富んで居た。これが故に最初Aplo. Maculatusの亜種とされて 居たのが後に独立した種とされたAplo. Lacustrisのステイタスに疑問を抱かされる。
その後,バガモヨを通り,ルブ川の河口を渡るフェリー乗り場に向かった。すぐに堤防の上で一台の車しか通れない道に遭遇した。道の両淵はフラットな草の生えた平原で有った。

ちょっとした水を見つけたので網を取り出し採集に掛かった。荒い草と低い潅木が主体の平原で網を入れるのが大変であった。当たり前ではないが,そこでN. melanospilusとN. janpapiを見つけ,更には我々の“欲しい魚”のリストにあるもう一種類のノソも発見した。私が見つけたのがN. foerschiで有ると言えば多くの人が驚くであろう。我々がこのノソにそれ程の興味を持った大きな理由は,我々の知る限りでは,過去この魚の存在を立証できる採集がなされていなかった


TAN 95/13の生息地 

元々この魚は商業ルートで入ってきた物とされて居り,ダールの近郊から採れたと考えられていた。 エガース(Eggers)はN.foerschiをルフィジ・リバー・キャンプで見つけたと報告しているが,写真証拠も無く標本も無いので,これは確認できない。

これが他の方法で実証されぬ限りは,バガモヨとルブ・フェリーの間で採集されたのが,この種の生息地を証明する最初の物となろう。尚,もう一種のノソもここで見つかった。見かけはN. foerschiに似ているが,雌雄とも体に薄い縦線を持っていた。経験では水槽で飼っても100%同じ線が出ること判明。この魚の位地付けはさて置き,N. spec. Bagamoyo TAN95/13とした。 その後,1997年に同じノソの魚群が発見されN. annectens(DKG Journal,30(3):52-63,1998)と正式に命名された。


TAN 95/14の生息地

フェリーに着いた時,対岸に渡れないと聞きがっかりした。 最近の雨期でムサタへ行く道が消えてしまった由!結局ダールに帰るしか手が無くなった。 前に,ダールのほんの外れで卵目が採集されて居る。これは黒っぽい水に住むPantonodon podoxysである。 この地域は開発が進み首都の一部となった。例えここで水を見つけたとしても,汚染でまず魚を見つける事は不可能であろう。


TAN 95/15の生息地

次の日,タンザニアでは大きな町の一つであり,重要な港であるタンガに向かった。最初,道は内陸を通り,ルブ川を渡りチャリンゼに向かい,そこでタンガに向け北に走った。ルブ川の近くにクワラザの町があり,このルブ川とクワラザの間にN.lourensiとN. janpapiの生息地がある。当然ながら此処で止まったが,魚を捕まえるのは容易でなく, N. lourensiは一匹も採集できなかった。

最終的には,N. janpapiとN. melanospilus,更に身元確認不可能な雌二匹を採集。それから一匹だけ寂しい雄を見つけたがこれはN.lourensiでは無かった。 このノソは我々がキサキで見つけたのと全く一緒であった。尾鰭のオレンジ色の外側バンドも輝くばかりのオレンジ/ピンクの喉の部分も同じで有った。二匹の雌はこの雄に所属する物と判断。その後の飼育でこれが証明された。このロケーションはKwareza TAN95/14と識別されて居る。ここが又我々の旅行でN. melanospilusを見かけた最後でもあった!次の日,タンガから北に走り,ケニヤとの国境近くまで行った。国境とウサンバラ山脈の中間地帯に出るべく内陸に入った。


TAN 95/16の生息地

タンガの郊外に新しい道が出来つつ有りこれがマングローブの湿地帯のはずれに添ってあった。 黒っぽい水!すぐにプールを見つけそこでPantanodon podoxysを見つけた。 そこでの我々の行動は土地の人達の一団を引き付けたが,鰐が居るから注意せよと言われたのは,魚採りを終えてからであった! これらの魚は生き延びてPantanodon podoxys TAN95/15として流布している。

道路に沿ってゲザニで魅力的なN.palmqvistiの群れを採集した。驚くほど深い道端の溝にいた。 これらはN. palmqvisti Gezani TAN95/16として紹介されて居る。国境に到着し失望した事は, 我々の地図にあるウサンバラ山の裏を通り抜ける道が存在しない事であった。パンガニでタンガに帰るのにトライアングラー・ルートを 取ることにした。ムヘザへ行く道を取り内陸に入った。


パームクイスティ“GEZANI”TAN95/16

途中一箇所でN. palmqvistiの群れに出合ったが採集せず,その後は遅くなったのでノン・ストップで走った。 翌日タンガを主幹道路沿いにムヘザを通りムルワジに抜けそこでコログゥエの町に行く細い道に入った。 この道沿いに20キロ程行った所で道路側にあるノソの居るプールを見つけた。N. palmqvistiかと思ったが, よく調べてみると未成熟で色も良く着いていず,何か識別できないノソと判明。


TAN 95/17の生息地

コログゥエに到着して,アル−シャへの主幹道路への右廻りはせず,真っ直ぐハンデニへの道を取った。 コログゥエから10キロ程の所で似たような生息地を発見。水を探すのに時間が掛かったがそこで前のロケーションで 採集したノソと同じものを見つけた。これらは前のより少々成熟し結果として色も良かった。

コログゥエに引き返しモンボと山の中のレソト近くにある我々の一夜の宿に行く主幹道路を取った。 モンボに着く数キロ前で再び止まり同じ種類のノソを採集した。今回は非常に色彩の強い見本で有った。 最後の三箇所で見つけた魚を識別する事は簡単に出来るようになった。
これらはN. vosseleriで1924年にAhlに依り記載され長年に渡りN. palmqvistiと同意語と思われていた物である。 私の知る限りでは,ボセラーが最初の標本を見つけて以来,この魚が採集された記録は無い。 この三つの群れはN. vosseleri Korogwe North TAN95/17, Korogwe South TAN95/18 及び Mombo TAN95/19に識別されて居る。
我々はこのノソをモンボの北でも採集している。木曜日の夜はレソトの山の中で過ごした。 かっては良いホテルで有ったと思われるが,老朽化して来ていた。 それでもこの旅行中に泊まった数多くのホテルよりましであった。
翌日,二週間と4,500キロに渡る旅行を開始したアルーシャに戻った。魚の採集をする機会は無かった。 土曜日の夕方,非常に成功した採集旅行を終え,キリマンジャロの空港を出発した。


N.vosseleri Mombo TAN 95/19

TAN 95/18の生息地

N.vosseleri TAN 5/17,95/18及び95/19の生息地

訳者より:

  1. 原文の翻訳と同氏の撮られた写真をKCJの会誌に連載する許可を与えてくださったセイントハウス氏に謝意を表します。
  2. ノソの写真はジュリアン氏が撮った物で同氏の記載許可も戴いています。訳者の卵目飼育に欠かせないグリンダル・ワームは同氏から貰ってきた物です。
  3. 翻訳はKCJの会誌以外には使用禁止されていますのでお含み置きください。