ノソサファリ MT2003
翻訳 酒井道郎 氏(KCJ007,APK139)
5. ロケーション
4月9日の朝、空港に接した湿地帯を訪問した。ここはベイラの南東に位置し、数度に渡りラコビーとオルトノートゥスのサンプルが捕獲された事でかなり知られている。1991年にジョン・ローゼンストックにより、この場所で個体群“Beira 91”、N. オルトノートゥス及びN.ラコビーが捕獲された事を強調したい。数週間前にジョン・ローゼンストックから場所についての詳しい説明を受けたのだが、残念な事にノトブランキウスは一匹も採集できなかった。この地域で唯一見つけた魚はナマズの種類であった。他では、湿地帯を横切る道が米作用に使われた農薬の袋と容器で溢れていた。まだ農薬は直接的にはノトブランキウスを駆逐してなかったようだが(多分少なくともこれまではそうであった)、これらの魚の食物連鎖ベースで有るあらゆる昆虫を駆除する事により、結果的には空腹からの死に至らしめ、間接的に駆逐していた。
間違いなくこの日はツイテ無かった。その後午前中に、交通事故にあった。幸いにも人体も車も無傷であった。
朝の半ばに、ノトブランキウスが居る事が判っているサバーネ川(Rio Sabane)に向かった。
広さが何百キロにも渡る一帯で数え切れないほどの水溜りが有りその無限性を誇示して居るようでもあり、
それが故に往々にして漁をかなり困難にしている所であった。道の最初の所で幸運がついているかどうか、
いくつかの水溜りを試してみたが、残念な事に、恐らくPseudocrenilabrus philanderと思われるシークリッド属に
似た魚を何匹か捕まえただけであった。旅行中この種の魚はテラピアと一緒に何度も捕獲したが全て水に戻した。
ほぼ80キロ走った所で、道路を横切る無数の小川に掛かった橋が落ちており、サバーネ川に到着するのが
不可能と判明した。後戻りするしか手が無く、ニャンガウ(Nhangau)の村の方向に向かっている時、子供たちが
合図をしていると妻が言うので停まる事にした。子供の一人がプラスチック・ボトルを持って車に近づいて来た。
中身を見て信じる事が出来なかった!ボトルの中にはN.オルトノートゥスとN.ラコビーのオスが約30匹程いた。
私と妻は、出来るだけ多くの魚を救う為に、即刻新しい水の入った容器に魚を移し始めた。
うまく魚を容器に収めてから、魚採り衣装を身につけ,その時まで1匹も捕獲してないメスを捕まえようと試みた。
このビオトープはベイラの首都から北東50キロに位置し、道路の右側にあり、地雷原から数キロの所にあった。
水溜りに入り、数秒もしない内に最初のラコビーのメスを採集した。丁度魚を容器に入れようと水からあがった時
、四輪駆動車が止まり、中からソファラ(Sofala)の内水局自然保護担当官が4名出てきた。会話を少しした後、
彼らは我々の調書を取る事に決めた。悪い事で始まった一日は最悪の事態になる危険性をはらんでいた。
一方、その内の一人が交通事故で車から落ちて肘の関節に強い痛みを感じているがどうしたら良いかとの医療相談を妻にしてきた。
医療相談が終わり、担当官達は車に乗り半回転して我々の前に止まった。中の一人の電話番号を手渡し、
ホテルに帰ったら電話をするようにと彼らは云った。これが午後3時に起こった。同日も次の日彼らに会い、
サッカーの話をし、大いに飲んだ。それ以降は問題が起こらなかった。
採集した魚はN.オルトノートゥスが10ペアーぐらいとN.ラコビーが15ペアー余であった。
この二種類は生息地を共有していた。次の日も同じ所に戻り、両種のメスをもっと採集した。
N.オルトノートゥス“Nhangau、MT03/4”右:♂
下:♀(写真:バスコ・ゴメス氏)