ブエノスアイレス(ブエノス)州南部への採集旅行

Hugo Jaime Prieto(GAK10)


翻訳 酒井道郎(KCJ007&GAK18)


2004年9月20日月曜日の19時28分。この大冒険の帰途。メダカと友達に囲まれて過ごした4日間後の我が生まれ故郷のパタゴニアへの帰へる途上にあります。もう単純にファンタスティク!

旅はブエノスに到着し会った17日から始まった。友人でGAKの会員、Alejandro Mongiardoに空港で完全に時間を計ったように再会した。お互いに全く異なった場所、即ち、彼はブエノスの北東方向400kmから、私は1,100km離れた南から来たが、お互いに5分の差で到着した。

採集旅行前夜

我々は出発の準備をする為に、Martin Fourcade氏の自宅に集まった。そこには“Cynolebias”(アルゼンチンでは今でも昔をしのび、AustrolebiasCynolebiasと呼ぶ。)を求めてはるばるオランダから来るTom van Dooren氏を除き、今回のメンバー全員が集まった(Lollniさん、Mongiardoさん、Lopez Duqueさん、Martinさん、それに私)。

車には、網、袋、箱、タオル、食料品、計器類、その部品、データー記録帳等々を積み込んだ。無論伝統的なアルゼンチンの焼肉バーベキューセットも忘れずに積み込んだ。

採集旅行の開始!

土曜日は通常のように始まり、5時30分に大きな“Cynolebias”(Austrolebias robustusMegalebias elongates)を求めて南に向けて進んでいた。

午前9時になり、都会から離れて長い旅のあと、バーで朝食を取ることにした。そのカフェテリアを出ると道端に水溜りを見つけた。トライしてみたいという誘惑に勝てず網を入れたが、胎生魚、おたまじゃくしとあらゆる種類の水中微生物が居ただけであった。

残念なことに、“Las Palmas”の生息地近くで、車の一台が故障し、限られた我々のメカ知識では解決できず、Lolliniさんはブエノス・アイレスに引き返した。

最初のアウストロレビアス!

思いがけない出来事に失望していたにもかかわらず、車が止まったところから10メートルぐらい離れた所に水溜りを見つけ、ここで旅の最初のアウストレビアスに出会った!

そこは30日か40日しか経ってない水溜りで、他の試した水溜り同様、一目でA.robustusA.bellotiと判る1センチから1.5センチの魚がたくさんいた。

PHとか温度、硬度、伝導率を貴重な各種測定器で記録帳に書き込んだ。それらはTomさんが持ってきたものと数週間前に佐藤さん(KCJ No.080)がマーチンさんに贈った器具である。

一般的に硬度は低く3−6Gh, 伝導率も低く200-500mcでPHも6.7と7.3の間で、水温も18℃であった。ここで採集された魚は採集コード番号を“Las Armas” GAK 3/04と名付けた。

南へ向かっての行進

Mar del Plataまでの道程で数箇所の水溜りに止まった。そこで捕まえたのは“Las Palmas”個体群と同じサイズと外観のメダカであった。恐らくA.robustusA.bellottiiであろう。

Mar del Plataに到着して、一夜をすごすホテルを探し、荷物と少しばかりの魚を置き、午後の三時ごろ、メダカの世界では一番の南限生息地(Quequenケケン近く)へ向かうべくNecochea方向へ道を取った。

途中当然の事ながら色々な水溜りで立ち止まったが、それらの水溜りからは魚は採集しなかった。印象に残ったのはどの水溜りもメダカの捕獲率が高かった事である。言い換えれば、約2キロごとに水溜りが有り、その70%にメダカが居たことで、これは信じにくかった。それと、道すがら絶えず近辺の水溜りを探すと、草原の中に無限の広がりを感じ、数々の水溜りが魅惑的であった

世界でもっとも南に(Austral)位置するビオト−プ

Ruta 88にある我々の目的地に到着し、幹線道路の左手に(Mar del Plata-Necocheaから行った場合)大きな白いサイロがあるのでそれを目当てに道の入口を見つけた。西の方向に廻り、幹線道路からは50メートルほどの距離を取り、あぜ道の両面に水の鏡がある方向へとむかった。

Lopez Duqueさんが道の右側に網を入れるのが最初であったが、すぐに採集したものを見せながら驚きの声をあげて我々を呼んだ。それは我々の眼には奇妙な無脊椎動物で、TomとMartinはすぐに淡水のブライン・シュリンプ、Dendrosephalus Sp.と見分けた!信じられない量とサイズのものがその水溜りにいた。

そのサイズは1-1.5cmぐらいもあり、その水溜りに共生する恐らくA.aff.robustusと同じサイズであった。水溜りは長さが50メートル、幅が6メートル、深度は40センチ程度で、牧草と前の古い枯れ草が有った。この辺は雨が降り出してまだ30日も経っていないので水草は無かった。

この水溜りにはミジンコなどの微生物が豊富に居て、良く見ると水が赤色になっており、アウストロレビアスにとっては有り余るほどの餌があった。

A. bellottiの非常に“黒い”タイプ

19日の日曜日、北に向かってMar del Plataからブエノス・アイレスの方向に戻る途中、“Los Yngleses”(英国人)と呼ばれる牧場のある場所を通りました。ここでほんの少し前に、Gunterが1883年にA.robustsusと記述しているだけの魚を捕まえました。

ここはCabo San Antonio(サン・アントニオ岬)と呼ばれ、海をはなれ大陸の中に小道を通って入らなければなりません。

牧場から数キロのところで、いろいろな水溜りに網を入れましたが非常に新しい水溜りで、若いが性別がわかるA.bellottiiのみしか居ず、結局ここのロケの魚は家に持ち帰りませんでした。

ブエノス・アイレスに向かって戻る途中、Mar de Ajoを通り、そこのガソリンスタンドEstacion Solで弁当をとることにし、食べ終わったらところで、通常どこのガソリンスタンドでも形成されている水溜りを見ました。そこで(いつもの事ですが)運を試すことにしました。そこで捕まえたA.bellottiiには驚かされました。それは私には美しいほど黒くみえた、本当に真っ黒な魚でした。

二匹のオスと4匹のメスを、私が住む市の友人のメダカ愛好家に渡すため持ち帰りました。私には、もう数ヶ月も経ち、すぐにでも水につけなければならない卵が有り、その為にも新しい魚を飼う水槽が有りませんでした。その魚は2ヶ月経っても、囚われの見であり、かつ環境が変わったにもかかわらず、黒い色を保っていましたので、私には、本当に特別なA.bellottiiの個体群に思えました。

帰宅

日曜日夜遅くなってからブエノス・アイレスに到着し、シャワーを浴び、食事をして寝ました。翌朝早く採集した魚をすべて持ち、我が家に連れて行ってくれるバスが待つターミナルへと向かいました。そして、この大冒険の概要を書き始めたところから、帰途が始まります。